2025年7月17日 八戸 対 八戸学院光星③
また続きです。
八高名物イカ踊りです!
次へ…
2025年7月17日 八戸 対 八戸学院光星②
続きです。。。
応援団の数がすごいことになっていました。
赤、青、黄に分かれているのは八高祭のチーム分けのためだそうです。

父兄の方々も一生懸命に応援してくれてます!

まだまだ続きます。
2025年7月17日 八戸 対 八戸学院光星①
3回戦は光星です!!
試合前のスタンドの様子です。
いよいよ試合開始です!







まだまだ続きます。。。
2025年06月14日 デーリー東北に掲載された品田さんの連載記事③
6月12日掲載↓

6月13日掲載↓

2025年06月07日 デーリー東北に掲載された品田さんの連載記事②
●6月5日分↓

●6月6日分↓

2025年5月30日 デーリー東北に掲載された品田さんの連載記事①
デーリー東北で品田さんの連載がスタートしました。
随時アップしていきます!
今回は5月29日分と5月30日分です。
●5月29日分↓

●5月30日分↓

品田さんの記事 ※NumberWebで採用にならなかった前文
下記がその記事です。
各方面の方々が許可をいただいてくれたようです!
================================
その人との出会いは、私が早稲田大学野球部の1年生の時。品田さんは、1年先輩の2年生だった。
当時の大学野球部といえば、「士農工商」以上の厳しい身分制度のようなものがあり、命令と服従で組織が成り立つ恐怖政治のごとき状況があった。
つまり、1年生、2年生のいわゆる「下級生」はさまざまな圧に脅えながら、小さくなって日々を過ごしていたものだが、そんな中で、品田さんだけは2年生なのに、どこか泰然自若として、すごく大人びて見えた。あとから聞いたのだが、品田さんは一浪されていて、年齢的には「3年生」だった。
ある日、グラウンドで、1、2年生が上級生から「歌え!」と命じられたことがあった。
まず2年生が順番に愛唱歌を披露し、品田さんの番になった。
スッと立ち上がった品田さんが、
「失礼します!カンツォーネを歌わせていただきます!」
と言い放ったから、みんなで驚いた。
カンツォーネなのだから、今考えれば、イタリア語だったのだろうが、『オー・ソレ・ミヨ』を堂々と、朗々と独唱し、鬼より怖い4年生たちをもシーンとさせて、最後に「オー、ソーレ、ミーヨ♪」と歌い上げた時は、満座の大喝采を浴びたものだ。
ジャガイモのような(失礼!)坊主頭に泥だらけのユニフォームで、渾身のカンツォーネ熱唱。この人は、ちょっと違う…私がそう思うようになったのも、この頃からだ。数少ない尊敬できる先輩だった。
通っていた第一文学部が同じで、それもあって、卒業までなにくれとなくお世話になった。早稲田で名のある札幌ラーメン屋さんで、よく大盛りをごちそうになったし、「ハタハタ」という魚を初めて口にしたのも、品田さんが連れて行ってくれた池袋の民謡酒場だった。たまに学食で顔を合わせることもあったが、そういう時の品田さんは、なぜかいつも、食券売りのオバちゃんに叱られていた。
================================
2024年10月26日 品田監督 大慰労会 二次会
2次会は隣の会場で行われました。
2024年10月26日 品田監督 大慰労会②
司会の名久井さんに指名された各学年の代表者が品田監督に向けてスピーチを行いました。

監督から家族へ向けてお礼の言葉です。