品田さんの記事 ※NumberWebで採用にならなかった前文

下記がその記事です。
各方面の方々が許可をいただいてくれたようです!

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その人との出会いは、私が早稲田大学野球部の1年生の時。品田さんは、1年先輩の2年生だった。
当時の大学野球部といえば、「士農工商」以上の厳しい身分制度のようなものがあり、命令と服従で組織が成り立つ恐怖政治のごとき状況があった。
つまり、1年生、2年生のいわゆる「下級生」はさまざまな圧に脅えながら、小さくなって日々を過ごしていたものだが、そんな中で、品田さんだけは2年生なのに、どこか泰然自若として、すごく大人びて見えた。あとから聞いたのだが、品田さんは一浪されていて、年齢的には「3年生」だった。
ある日、グラウンドで、1、2年生が上級生から「歌え!」と命じられたことがあった。
まず2年生が順番に愛唱歌を披露し、品田さんの番になった。
スッと立ち上がった品田さんが、
「失礼します!カンツォーネを歌わせていただきます!」
と言い放ったから、みんなで驚いた。
カンツォーネなのだから、今考えれば、イタリア語だったのだろうが、『オー・ソレ・ミヨ』を堂々と、朗々と独唱し、鬼より怖い4年生たちをもシーンとさせて、最後に「オー、ソーレ、ミーヨ♪」と歌い上げた時は、満座の大喝采を浴びたものだ。
ジャガイモのような(失礼!)坊主頭に泥だらけのユニフォームで、渾身のカンツォーネ熱唱。この人は、ちょっと違う…私がそう思うようになったのも、この頃からだ。数少ない尊敬できる先輩だった。
通っていた第一文学部が同じで、それもあって、卒業までなにくれとなくお世話になった。早稲田で名のある札幌ラーメン屋さんで、よく大盛りをごちそうになったし、「ハタハタ」という魚を初めて口にしたのも、品田さんが連れて行ってくれた池袋の民謡酒場だった。たまに学食で顔を合わせることもあったが、そういう時の品田さんは、なぜかいつも、食券売りのオバちゃんに叱られていた。
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2024年10月26日 品田監督 大慰労会①

八戸高校野球部の監督として37年間指導してこられた品田監督の勇退に伴う、慰労会が開催されました。
ご家族、ご来賓の方々にもご出席いただきました。
   
とてもたくさんの方がお世話になった品田監督にお礼及び労りの言葉をかけていました。
この日出席できなかった多くの人たちも同様の気持ちであることは間違いありません!

2024年07月14日 対 三本木農業恵拓①

三本木農業恵拓さんとの二回戦の様子です。
日曜日に地元長根球場での開催ということで、大勢の皆様が駆けつけてくれました。
OBの方々もたくさん駆けつけて応援してくれていました!



試合開始です!






次へ続きます。。。

2024年06月29日 本大会前の激励会の様子

夏の本番を直前に、激励会を開催しました。

父兄の方々、いつも準備及びサポートありがとうございます。。。
今まで積み重ねてきたことを遺憾なく発揮し、悔いの残らない大会にしてください!